戻ってきました。

4日の木曜日に、約20日間の腸チフスとの闘いを無事に終え、サイタニーに戻りました。
しばらくご無沙汰していましたが、またどこか具合が悪かった、というわけではなく、元気に過ごしていました。


療養の後半1週間は、すっかり元気になっていて、暇をもてあましていたので、本を見ながらベーグルを焼いてみたり、フライパンでスコーンを焼いてみたり。
簡単だけど、おいしくできるので、スコーンは2回焼きました。
あとは、新しいシン(ラオスの巻きスカート)の生地を買って、仕立ててもらったり、割りと忙しく過ごしていたのです。(笑)


ま、多少のリハビリもしないとね。
最初にタラートに歩いて行った次の日に、筋肉痛になったぐらいですから・・・。
走ってないのよ、歩いただけ。
どんだけ衰えてるんだって話です。


次の日の金曜日に、仕事に復帰しました。


しかし・・・。
母子保健課の課長は、体調不良でお休み。
看護師長さんと予防接種の看護師は、セミナーに参加。
他の看護師3人は、予防接種で村に下りていました。


残るスタッフは2人・・・。
妊婦健診、予防接種、ピルの処方、避妊薬の注射、お産後入院している親子もいて、2人はあっちへ行ったりこっちへ行ったり・・・。


さっそく、私も受付を手伝いました。
久々のラオ語を必死に思い出しながら、何とか対応しました。


月曜日だと、患者数も多いので、ものすごく大変だったと思うけど、この日はそれほど多くはなかったので、何とか終わりました。
お昼には、セミナーも終わり、予防接種に行っていたスタッフも帰ってきたので、フルーツを食べながら、みんなでおしゃべりです。


「何の病気だったの?」
「入院したの?」
「どこで休んでたの?」
「タイの病院はどんなだった?」
「点滴はしたの?」
「何の薬飲んだの?」
「ご飯はどうしてたの?」


次々に質問が飛んできます。


私は、カウンターパートに腸チフスということを電話で知らせていたし、事務所からも、レターで療養しているとお知らせがあったと思うのですが、どうやらみんなは知らなかったようです。


でも、院長からも聞かれたしなあ・・・?

レターには、英語と一緒にラオ語訳も付いてたはずだけど。


この病院の連絡ルートはどうなってんだ?


でも、質問に答えた後は、


「何を食べたんだろうね。」
「ちゃんと、手を洗わなかったんでしょ?」
「野菜はちゃんときれいな水で洗って、火を通さなきゃだめよ。」


と、生活指導が入りました。


私は、「はい・・・。」というしかなく・・・。


もう二度と罹らないように、この生活指導をしっかり守りたいと思います。


本当に、本当に、もう嫌だ〜〜〜!!